2011年10月31日月曜日

モルック販売会社「Tactic」との交渉 その1

代表の八ツ賀です

10月28日の金曜日、フィンランドでモルックを販売しているTacticという会社の営業部長のJuhaと、正規品のモルックの日本での販売戦略について交渉してきました
JMAからは、代表の八ツ賀、副代表の松田、監事の高窪が出向きました

Tacticは、フィンランドではボードゲームやカードゲームを中心に販売している老舗のおもちゃ屋です



今回、私たちのために、フィンランドでもっとも親しまれている、おそらく日本でいう人生ゲームやドンジャラのような感じで一家に一つはあるといわれている「Alias」というボードゲームの、英語版(インターナショナル版)をいただきました
これは、今の日本で、小学生や中学生の英語教育に、遊びと教育とを融合させて、英語学習を楽しめるのではないかと思いました

Tacticのたくさんある商品の中に、モルックがあります
ヨーロッパでは、このTactic製のモルックが多くの国で販売されているのですが、さすがに日本ではまだ売り出されていないのが現状です

私たちJMAでは、日本での普及活動を大きな課題と考えており、モルックをできるだけ安く、そして日本で購入できる方法を模索した結果、フィンランド国際モルック協会(FIMA)の協力のもと、今回Tacticの営業部長であるJuhaと直接交渉することができました

Juhaも、日本の人口規模を考えると、マーケットとしては悪くないと感じているようですが、遠い極東の国であり、また言葉の壁も厚く、なかなか日本・アジアへの進出に踏み切れないという感じでした

2011年10月27日木曜日

2011年冬期ヘルシンキカップ第2戦

代表の八ツ賀です

2週に1回行われるヘルシンキカップにこの日も参加しました
現在ヘルシンキにいるJMAのメンバー6人全員が参加となりました
この日の大会の参加人数は26人、単純に約2割近くが日本人が占めてます!

予選は前回と同じで、人数が多いので個人でなくクジで決めるペア戦
すごい確率ですが、ペアが前回と同じフィンランド人、八ツ賀がTuiskuと、松田がSamiとペアとなり、ペアを組む人のスキルや戦法を知っているので、戦いやすい状況となりました

予選は私のグループがけっこうな強者揃いだったと思います
しかし、近距離はTuiskuが、中・長距離は私が高確率が命中させていき、3試合して2回あがり、合計得点でも2位を20点以上も差をつけて堂々の予選1位通過、決勝進出を果たしました

さて他のJMAメンバーはというと、私を含め3人が日本人が入っているチームが決勝まで進んできました
JMAメンバーの実力がアップしているのを実感します
決勝は4チームの2戦のみ
日本人は、八ツ賀、大崎、杉山の3人が決勝にすすみました

かなり緊迫した試合で、1試合目は、大崎・Olivierペアチームと、八ツ賀・Tuiskuチームのほぼ一騎打ち状態
杉山のチームは、ペアのフィンランド人も調子が上がらず上位に食い込めずでした
最後のショットで、Olivierが当てたら勝ちというところで、不運にもはずしていまし、次の私がけっこうな長距離を命中させ1試合めゲット

2試合目も同様な試合展開で、かなり難しい最後のショットを、Tuiskuが3本倒しという偉業を成し遂げて2戦とも勝ち、この日は八ツ賀・Tuiskuチームが優勝しました
このペア、前回2位で今回1位、かなり強いペアと思われますが、ペアは運次第なので、次はどうなるかわかりません

11戦あるうちの2戦が終わっただけです
この勢いを保ち続けるのが難しいでしょう
全体を通しても、日本人が目だつ試合となり、ヘルシンキでは、日本はモルックが強いという印象をさらに植え付けた形になったと思います
これも夏場の地道な練習の成果だと思います

2011年10月21日金曜日

2011年冬期ヘルシンキカップ1回戦

代表の八ツ賀です

北国のフィンランドですが、夏の世界大会を見る限り、上位のチームは、とても夏だけの練習であそこまでのレベルに達することはできないと思っていたのですが、冬も練習していました
ほとんどの屋外スポーツですが、フィンランドでは冬でも室内でできるような状況になっていると思われます
室内用のテニスコートもありますが、夏は屋外、冬はそこにテントを張って、というかドーム場の覆いをかぶせてという光景を、街のあちらこちらで見ることができます

では、モルック用の室内練習コートは・・・というと、さすがにヘルシンキにはないようです
ただし、モルックの本場ラハティにはあるかもしれません・・・来年の大会でFIMA(フィンランド国際モルック協会)の人にでも聞いてみようかなとか思います

前置きが長くなりましたが、ヘルシンキを中心に、モルック好きの有志が集まって試合をしている集団、それがヘルシンキカップです
夏は屋外、まぁ普通の公園なので無料ですが、さすがに10月を過ぎると夕方は気温一桁まで下がりますし、夕暮れも早くなるので屋外での活動は不可能
そこで、ヘルシンキカップでは、毎年冬は室内ペタンク場を借りて行われているようです
世界中に活動家のいるペタンクは、室内専用練習場を、このヘルシンキにも持っているというのはさすがとしかいいようがありません
これはいちばんまともで広いコート
冬期ヘルシンキカップ、2週に1回、パシラ駅近くの室内ペタンク場にて行われます
基本は個人戦で、1戦ごとに上位から得点を割り振り、 11回戦を行って最後に合計得点が高かった人が優勝というものです
室内のレンタル代が、全11回、1回2時間で32.6ユーロ、1回に換算すると約3ユーロくらいなので、手軽な値段ではないかと思います

10月12日に、冬期ヘルシンキカップの1回戦目が行われました
18人以上の参加者がいる場合は、ペア戦となる仕組みで、20人以上の参加だったのでペアとなりました

場所のコンディションとして、1つのコートは地面が普段使っている公園のようでいいのですが、もう一つはコンクリートの上にほんの少しだけ砂をまいた感じで、とにかく棒が跳ねる跳ねる・・・!
しかもコートの幅も長さも狭く、また壁に当たった棒でピンが倒れてもOKという、何でもありルールで、毎年している猛者ですら悪戦苦闘でした
とにかく無難に投げてもまったく予期せぬ方向に飛び跳ねるため、芝以上にトリッキーなコンディションといわざるを得ないです
3回連続でゲームオーバーになるチーム続出でした(決して難しいピンを狙いにいくわけではないに・・・)

そんな中、JMAのメンバーはこの日3人参加したのですが、私とフィンランド人のペアは決勝まで進み、惜しくも2位という結果ではありますが、充分に力を発揮できたのではないかと思います
確実に世界の中で、といっても主にヨーロッパですが、日本のモルックチームは強いという印象を植え付けていっています
この調子で、冬場もモルックの練習を続けて、夏の練習・大会へとつなげていけるようにしたいものです
そして、来年こそは、念願の世界大会2回戦突破を成し遂げたいと思います

次回のヘルシンキカップは10月26日
JMAメンバーが入賞することを祈って!!
このコンディションは、直接ピンを狙うよい練習かもしれません(ポジティブシンキング)

2011年10月14日金曜日

2011年フィンランド世界大会

代表の八ツ賀です

今年は、3カ国での大会参加となりましたが、私たちJMAのいちばんの目標である、フィンランドの世界大会についての結果を書き留めておきます

世界大会の開催地は、モルックの聖地ラハティです
8月27日(土)、28日(日)の二日間かけて行われ、Team Japanとして出場しました
参加費は1チーム80ユーロ
今年の出場チームは約200チーム
4人1チーム、控えの選手を含めて最大1チーム6人まで登録可です

初日は予選のみです
Team Japanは、午後1時からで、ほどよく練習もでき、また集中力が切れないであろう時間で助かりました
Team Japanとして、八ツ賀(秀)、松田、大崎、高窪、杉山、尾曲でエントリー
八ツ賀(千)はマネージャーとして色々と働いてもらい、陰の功労者といっても過言ではありません
今年は、1グループ4チーム、4試合の合計で上位2チームが2回戦進出です
予選は、高窪、松田、八ツ賀(秀)、大崎で臨みました
試合をして始めて相手のチームの強さがわかるのですが、数回投げていてわかるのは、明らかに他の3チームは自分たちより格下ということです
しかし初戦ということで、緊張も合いまり、途中で投げる順番を変えるなどして苦戦しました
結果的にはグループ1位通過でしたが、最後まで気が抜けないというのは、まだまだスキルが足りないと思わせられる部分でもありました

初日の予選が終わると、国別親善試合が行われます
各国から3名の代表選手が、今年は12カ国で競い合いました
国別親善試合には、高窪、松田、杉山で臨みました
6チームで2試合行い、上位3チームが決勝に進むという、多少運もかぶるところもあるのですが、試合が始まるとやはり実力どおりの結果となるのが不思議です
日本チームは、善戦しましたが、15m級のショットを連発しないといけない状況となり、普段そのような距離の練習はしないので、厳しい戦いとなりました
日本チームは8位という結果に終わりました
優勝はフィンランドチームです

2日目は2回戦、そして勝ち進めば決勝まである日です
2回戦は1グループ3チーム、1位のみが3回戦に進めるというシビアな条件
ここで勝ち抜けるとベスト32入りとなります
前日の後半と同じメンバーで、八ツ賀(秀)、松田、高窪、大崎で臨みました
1チームとはほぼ互角で、2回戦った時点で7点差で1位
しかし、私の作戦ミスで、逆転負けを喫してしまい、今年の目標であった3回戦進出はならず、去年と同様2回戦敗退という悔しい思いをしてしまいました
あと5点足らず・・・完全に作戦ミスでした

スロバキアチームと共に

来年の目標は、やはり3回戦進出
今年、去年の経験をいかし、技術、戦略、メンタルを鍛え直して来年こそは目標突破を目指したいです

2011年10月12日水曜日

2011年 チェコ大会(番外編の番外編)


5.最後に(番外編の番外編)

 昨夜の飲み会のあたりから気づいたことが一つ。なぜか、日本語のアリガトウがチェコ人に大受け。後からペトロとズデニックに教えてもらったことですが、チェコではワニのことをAligátor といい、ほぼ日本語のアリガトウと同じ発音のため、アリガトウアリガトウと連呼すると、ワニワニとなり、とても面白いらしく、大勢の人が真似をしてくれました。そして、私のタイ式お辞儀とともにチェコ人、スロバキア人の間にまちがった日本式アリガトウをはやらせてしまったのでした。

また、チェコ大会チームジャパンキャプテン大崎さんには、とても感謝しています。YukiJozefの強い絆がなければ、あの美しいPasohlavkyの湖畔や秋のプラハ城を見ることはできなかったでしょう。そして、スタノ、マルケスとの魔法の水対決、fu-kingチェコお姉さん?とのブドウジュース対決、ヤナとの熱い約束、ペトロとのクップ談義、ズデニックとのスピリッツ対決、本当に素晴らしいです。

チェコ大会チームジャパン、最高です! 

 心優しく陽気なチェコ人、スロバキア人に囲まれて、最高の週末を過ごすことができました。日本で働いている皆様、ごめんなさい。
松田フィンランド支部長から厳命された優勝は、おしくも逃してしまいましたが、それは来年のチームジャパンに託します!


また、2011年チェコ大会(番外編)を最後までお読みいただき、誠に有難うございました。最後にみなさんご一緒に、ご唱和ください。


来年のチームジャパンの健闘を祈って

Kanpai (JPN)Na zdravie (SK)Na zdravi (CZ)!

Arigatou (JPN)Aligátor (CZ & SK)Alligator (ENG)?!

JMA 監事 高窪祐弥


チームジャパンを応援してくれた留加須 (Lukus)と

とてもかっこいい写真だったので (CASPVのHPから)

秋のプラハも満喫、有名なカレル橋とプラハ城

30個のモルキーセットはいずこへ!? 日本大会開催へ準備着々!

2011年 チェコ大会 (番外編3)


4.第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編)3日目

 本日も快晴、さすがにスロバキアチームのバンガローは静かでした。かなり強烈な頭痛と脱水気味の体に、今日も冷水シャワーで目覚めの一撃。昨日と同様、澄みわたる湖畔を眺めながら朝食会場に向かうと昨夜チェコ人初、日本伝統秘技、千鳥足を目撃した・・・さん(名前忘れました、番外編2の写真をご覧ください。)から、頭痛はしないか、あの歩き方はすごかったな、と優しいお言葉。

午前中は、ウッドボールにチャレンジ。プラハまで乗せていってくれると快く応じてくれたペトロ(大会会長とは別の人、チェコクッブ協会会長)とズデニックと同じ組で回りましたが、ここでも休憩ごとにビールでナズラディー!もちろん、彼らがおごってくれました。昨日の練習とはことなり、本番ではOBの連発。後半は再びヘタレ戦法、弱めに打って刻んでいったところ、チェコ人からパワー、パワーと挑発されるが、己の道をただ突き進むのみ。試合終了後、散々な結果と思いきや、チーム戦のため終始安定したプレーをみせたキャプテン大崎さんのおかげで、チームジャパンはウッドボールでも10組中6位入賞。

お昼から執り行われた表彰式では、タイ式お辞儀とアリガトウがおおはやり。間違った日本のイメージを植え付けたようでしたが、みな楽しんでいたので、そこはなすがままに。
表彰式では、スロバキア人、チョコ人と記念撮影して、最後の交流!


ヨセフ、スタノ、マルケス、ペトロ、もう一人のペトロ
ズデニック、そして、心優しいチェコ人、スロバキア人たち
本当にアリガトウ!


その後、チェコクッブ協会会長であるもうひとりのペトロからクッブを教えてもらい、ル-カス兄弟をまじえて対戦。キャプテン大崎さんは、ここでも持ち前のキャプテンシーを発揮し、ル-カス姉に引けを取らない活躍をみせてくれました。おそらく、来年はクッブ大会も出場へ。
プラハまでは、ペトロの車に便乗させてもらえることになりました。かなり荷物が多かったにも関わらず、無理やり二人分のスペースを作ってくれました。チェコ第二の都市ブルノ (Brno)から約30分のブランスカ (Blanska)という街にある、ズデニックのアパートでしばし休憩。二人は冬のスキー旅行を話し合っていました(約2時間)。チェコ人たちは魔法の水を持っていなかったので、スロバキアとは文化が違うのかとひと安心しつつ、部屋中を舞うインコの羽に神経を集中させながらしばし休憩をとっていたところ、そんな甘いことはありませんでした。ほどなくすると、ズデニックがショットグラスとスピリッツ(アルコール度数約30%)をもって登場。しかも、一気飲みをすすめる。照りつける太陽とモルキー大会、魔法の水対決、ブドウジュース対決、ウッドボール大会と連戦を戦い抜いてきた体にはつらすぎました。しかし、ここでもキャプテンシーを発揮してくれた大崎さん。ズデニックとも互角に渡り合い、チームジャパンの面目を保ってくれたのでした。


アリガトウ、Ohsaki-san!

                                                                                                   
ズデニックの部屋は改装中でしたがなかなか良いアパートメントでした。美人彼女とインコに囲まれ、車はBMW。チェコでもそれなりのクラスなのかなと勝手に想像していました。その後、ズデニックと別れ、ペトロの車でプラハへ。いわゆるwinding road、蔵王の山道みたいなところを飛ばす、飛ばす。さらに、まじめなチェコ人、ペトロは、月曜日に私たちを案内してくれる友達を探してやるといって、運転しながらずっと携帯をかけ、メールをしまくってくれました。キャプテン大崎さんに助手席を譲り、後部座席でゆっくりするはずが、そうそう眠れず。そうこうしているうちに高速に入り一安心かと思えば、まだまだ友達を探し続けてくれていました。しかも、160km/hで走りながら・・・。しかし、月曜日の午前中に得体の知れない日本人男二人を案内できるほど暇な人を日曜の夜に見つけることなどはやはりできず、結局30人近くに連絡をとってくれましたが、あえなく断念。予定より2時間ほど遅くなり、夜20時過ぎにプラハに到着。

ペトロの家を経由し、おすすめのお肉のお店へ。ビーフのスシだというBifutekiなるものは、生肉にスパイスやソースを自分で加えていく料理でした。ユッケに似ていてO-111O-157などが頭をよぎりましたが、ペトロの嬉しそうな顔をみると食べずにはいられませんでした。明日の体調不良を覚悟して食してみたところ、これが意外にもおいしい。チェコビールと生ビフテキに囲まれ、最高のプラハの夜となりました。

レストランを出るころにはすでに22時をまわっていたので、長距離運転をしてくれたペトロもかなり眠そうでした。それでも、切符購入、トラム、地下鉄を案内してくれ、ホテルのレセプションまでついてきてくれました。ホテルは、予想以上に豪華でバスタブ付き。モルキー大会、ヒッチハイク旅行の疲れを癒すには申し分なく、バスタブにつかりながらこの旅行を支えてくれたすべての人々に感謝したのでした。


ペトロ、アリガトウ、Aligátor
そして、ズデニック、やはりおまえもか!
Na zdravi (ナズラディー)


来年は、真ん中にチームジャパンが立っていることを祈って

第2位は、メダルと賞状を頂けました

ズデニックと互角に渡り合うキャプテン大崎さん、さすがです!

嬉しそうにBifutekiを作成中のペトロ

この後、ホテルまで案内してくれたペトロでした、Arigatou!

2011年10月9日日曜日

2011年 チェコ大会 (番外編2)

 3.第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編)2日目

 さわやかな朝にぴったりの冷水シャワーを浴び、爽快な目覚めで2日目の朝を迎えました。湖と山のにおいを含んだやさしい風に包まれながら、バンガロー前の湖畔を散歩し、朝食会場へ。
 スロバキアチームはすでに魔法の水を飲みまくっていて、戦闘モード。というより、この人たちは昨夜寝たのだろうかなどと心配してしまいましたが、それもつかの間、案の定スロバキアチームのブラックホールに引き込まれ、魔法の水で朝の一杯。

さっそく、ナズラヴィエ!

モルキー大会は午後からのため、午前中は試合会場で、芝の感触を確かめながらの練習。芝生でのモルックは予想外のバウンドの連続で、スロバキア大会に続きチームジャパンはまたまたアウエーの洗礼を受けました。そして、右肘に爆弾を抱えていた私は、1時間ほどで練習終了。不安の残る練習でしたが、その後明日参加予定のウッドボール(Woodball)を大会長のペトロさんから教えて頂きました。ペトロさんから手取り足取り教えて頂き、いざ第一打。まるで、プロゴルファー並みのきれいなショットを繰り出し、その後も、ナイスショットを連発し気分よくお昼へ。

しかし、昼食後最終練習を行っているとヨセフが重大な事を教えてくれました。なんと、大会で使用されるチェコ製モルックはフィンランド製と違い、かなり軽く今までの棒と同じ感覚で投げるとオーバーの連続でした。予選開始まであと30分の時点で、衝撃の事実が明らかとなり、動揺が走るチームジャパンでした。

 しかし、いざ予選が始まると右肘に爆弾を抱えていた私にはちょうど良い重さだったようで、ラハティ世界大会の悪夢を克服したと言ってもいいほどの好調ぶり。二次予選では、思わぬアクシデントのため点が伸びず、ぎりぎり2位通過。しかし、準決勝では体力のなさからか調子を落としてきた私に代わり、キャプテン大崎さんがいよいよ本領を発揮し、無事1位通過で決勝へ。

お互いの好不調の波長がうまくかみ合い、チームジャパンは決勝も他チームと互角に渡り合い、第3ラウンドが終わった時点で7点差をつけ、暫定1位のまま最終ラウンドへ。しかし、最後はスロバキアチームの女神マイカさんの神ショットの前にやぶれ、惜しくも準優勝でした。2位になれたという充実感とあと少しで優勝できたという悔しさの入り混じった決勝戦でした。
(詳細は本編JMAホームページチェコ大会成績をお読みください)

優勝チームは、ヨセフ率いるチームスロバキア1!Gratuluji
 
お約束どおり、決勝が終わったと同時にスロバキアチームから魔法の水攻撃、いや祝杯の嵐を受け、ここからが本当の戦いのはじまりでした。
そして、夕食後もご想像のとおり、チェコ人のお部屋へ。今回ばかりは負けられない戦いとチームジャパンも応戦。魔法の水(アルコール度数40%)攻撃にも堂々と渡り合い完璧な応戦をみせると、スロバキアチームは朝から飲みまくっているせいか、意外にも11時くらいでダウン。決勝での借りを返し、ますます勢いにのるチームジャパンでした。しかし、今度はチェコチームの逆襲。チェコ製炭酸ブドウジュース(アルコール度数不明)攻撃にかなりやられ(これがまたおいしい!)、チェコの歌を一緒に歌い、ヤナさんが勤める小学校への訪問を約束し、最後は完全ノックアウト状態になりつつも、日本古来の伝統秘技、千鳥足をみせつけながら宿舎にたどりつくのでした。

留保志、誕生日おめでとう(Lubos, Happy Birthday)!
ナズラヴィエ、ナズラディー、カンパイ!
アリガトウ、AligátorAlligator
 

優勝チームスロバキア1(左端 マイカさん、右端 ヨセフさん)とスタノさん(左端2番目)と

ヤナさんとその旦那さんと来年2月小学校訪問予定のキャプテン大崎さん

 
Ceska Asociace Sport Pro Vsechny のみなさんと自家製ブドウジュース(アルコール度数不明)の空ペット

チェコ初、日本古来の伝統秘技、千鳥足を目撃した・・・さん 
(すみません、名前忘れました)

2011年10月8日土曜日

2011年 チェコ大会 (番外編1)

第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編) in パソフラーフキ
~ナズラヴィエ、ナズラディー、カンパイ!~
 

1.はじめに

モルック好きの皆様、JMAの皆様、たまたまこのブログにたどり着いていしまった皆様、せっかくクリックして頂いたのですから、第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編)を最後までぜひお楽しみください。まだ、チェコ大会チームジャパンキャプテン大崎さんが作成した本編103 up)をお読みでない方は、そちらから先に読んで頂けるとよりいっそう番外編の理解が深まるものと思います。


我らが友、ヨセフ、ペトロにナズラヴィエ、ナズラディー!

JMA監事 高窪祐弥


2.第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編)1日目

それは、2011828日、照りつける太陽の下、フィンランドのラハティで行われたモルック世界大会の決勝を観戦している時でした。立て続けに繰り出される神ショットを眺めていると、2回戦ではかなく散り虚脱感と焦燥感に埋め尽くされていた私の心に、ある一筋の光明を見つけました。

“チョコ大会に行こう、行くしかない!”

 それから、約1カ月後の930日、チェコ大会チームジャパンキャプテンの大崎さんとともにオーストリア・ウイーン空港に降り立っていました。今回、様々なチーム事情からチェコ大会に派遣されたのは、この二人のみ。監督なし、控えなし、おまけに土地勘なしのぎりぎりの戦いがここから始まったのでした。

しかし、私たちには強い味方がいました。ウイーン空港には、チームスロバキアのヨセフが4月に購入したばかりの愛車パジェロとともに出迎えてくれました。大会2週間前に、キャプテン大崎さんがメールで会場までの同乗をお願いしたところ、快く引き受けてくれたヨセフに加え、スタノ、マルケスも一緒に出迎えてくれました。なんと素晴らしい人たちなんだと思っていましたが、予想通り車に乗り込もうとした瞬間から、スロバキア特製魔法の水(アルコール度数40%)攻撃が開始されました。その後も車内では、Na zdravie (ナズラヴィエ;スロバキア語) がこだまし、約3時間の道中に2本の瓶が空いていました。

 モルック会場となるPasohlavky (パソフラーフキ)は、チェコとオーストリアの国境沿いの湖のほとりにあるとても美しい保養地でしたが、魔法の水攻撃を繰り出してくるヨセフ達のサポートがなければとてもたどり着けない場所にありました。到着後、夕食をとりに事務局も兼ねているレストランへ行くと、そこにいたすべてのチェコ人から有名人をみるような、はたまた、犯罪者をみるような何とも言えない熱視線を一斉にあびた二人でした。


 今回の大会会長であるペトロさんをはじめ、チェコの方たちからも大歓迎をうけました。ウオッカのショットグラスがならべられたカウンターの前で何を飲むかと聞かれ、思わず魔法の水と言いそうになりましたが、明日の試合に備え圧倒的アウエーのこの地での戦いは避け、ピナコラーダでNa zdravi (ナズラディー;チェコ語)し、初日を終えるのでした。
大会長のペトロさんと

ヨセフさんとスロバキアチームへおみやげ


スタノも魔法の水が大好きです

パソフラーフキ(部屋の前からの眺め)


泊まったバンガロー



2011年10月5日水曜日

2011年スロバキア大会

代表の八ツ賀です

チェコ大会の熱気が冷めやらぬ中、2011年の7月に開催されたスロバキア大会のことを忘れないうちに書き留めておこうと思います

2011年7月23日土曜日、スロバキア大会にTeam Japanは参加しました
場所はZlate Pieskyというスロバキアの首都ブラティスラバの中心から5kmほど離れた場所にあるオートキャンプ場
4人1チームで計20チームの参加となりました(スロバキア8チーム、日本1チーム、ドイツ4チーム、チェコ6チーム)
参加費は1チーム30ユーロ
グランドコンディションはしっかりとした芝で、ふだんは土の上で練習していたため慣れない状況で苦労しました
道具は、正規のモルックででしたので問題はありませんでした

Team Japanは、八ツ賀(秀)、松田、八ツ賀(千)、杉山の4人でのぞみました

予選は4チームで1つのグループ、つまり5つのグループに分かれて、計8ゲームという普段ではありえないゲーム数でしたので、途中で集中力が切れてしわないようにするのが苦労します
Team Japanのグループは、日本、チェコ、ドイツ、スロバキアでした
5、6ゲーム目で調子を落としましたが、最後は接戦を制し、予選は1位通過することができました

予選1位は、そのままストレートに準決勝に進めるのですが、それ以外の15チームが、敗者復活戦となり、それら上位4チームが準決勝に進める方式でしたので、予選1位通過は非常にアドバンテージを取ることができました
その間に、休憩できましたし、自主練もして試合会場でのコンディションに合わせることができました

次の準決勝戦が、クジ引きで、なぜか運悪くドイツのいちばん強いチーム、スロバキアのいちばん強いチーム(結局このチームが優勝するのですが)、そしてTeam Japanという組み合わせ
3試合して、2試合目で7点差をつけて1位、しかし3試合目で作戦ミス、最終的に1点及ばずスロバキアチームに惜敗、準決勝リーグ2位でした
準決勝リーグ2位は、4-6位決定戦へ
4-6位決定戦は、スロバキアチーム2チームとTeam Japanの組み合わせでしたが、正直Team Japanが格上で、焦ることなく冷静に4位を獲得できました

他のチームも言っていましたが、私たちのいた準決勝のグループが、事実上の決勝戦だったといわれ、確かにそう思うところがありました
優勝も狙えた可能性がありましたが、入賞を果たせて何とか面目は果たせたのではないかと自負しております

スロバキア人の厚いおもてなし、歓迎を受け、競技だけでなく、人的交流も深めることができ、とても有意義な大会でした
世界大会への前哨戦というか、よい意味で緊張感、試合感を味わえる機会でした

2011年10月3日月曜日

2011年チェコ大会

2011年チェコ大会の結果概要(文; 大崎 雄樹)

JMA会員、及びモルック愛好家の皆様、9月30日-10月2日にかけてチェコ共和国にて開かれましたREPUBLIKOVÁ  OPEN  SOUTĚŽ  2011 (KUBB+MÖLKKY+WOODBALL)にて、Team Japan (大崎、高窪ペア)は見事!?モルック部門第2位を獲得致しました。特にモルック部門は記念すべき第一回チェコ大会でした。後日詳細を報告致しますが概要をまず。

日時; 2011年9月30日-10月2日
場所; チェコ共和国Pasohlavky市郊外 Camp Mercury
種目; 2名/1チーム構成。Mölkky, Kubb (チームメンバー合計年齢90歳以上/90歳未満の2カテゴリー)、Woodball (同様に90歳以上/未満の2カテゴリー)の中から複数種目参加可能。

モルック部門; 24チーム参加。内スロバキア4チーム、日本1チーム、他チェコチーム。
予選から決勝まで全て総合得点加算方式。試合内参加チーム数 = ゲーム数。投的順はゲーム毎にひとつずつずれる方式。

一次予選 (4チーム中2チーム勝ち抜け。Team Japan 1位通過)
二次予選 (4チーム中2チーム勝ち抜け。Team Japan 2位通過)
準決勝 (3チーム中2チーム勝ち抜け。Team Japan 1位通過)
決勝 (4チーム。Team Japan 総合第2位。優勝はTeam SZM 1 (Slovakia))

附記; (1) チェコオリジナルのモルックを使用。フィンランドのものより一回り小さく軽い。(2) グラウンドコンディションは芝生、というか雑草だらけのキャンピングカー駐車スペース。跳ねます飛びます。

第一回チェコ大会のため参加チーム数はそれほど多くなく、各試合での勝ち上がりチーム数も多めではありましたが、慣れない大きさのモルックと草地という悪条件の中で健闘できたのではないかと思います。決勝では3ゲーム終了時点で一時7点差でトップに経ちましたが、最終ゲームで大崎の調子が大きく崩れ、終止安定したプレーを見せたSlovakiaチームに敗れました。


なおWoodball 90歳未満部門にも飛び入りで参加し、10チーム中第6位でした。
Woodballとは台湾発祥のパターゴルフのようなものです。


Team Japan (Yuki Ohsaki and Yuya Takakubo) got the 2nd place in Mölkky division in REPUBLIKOVÁ  OPEN  SOUTĚŽ  2011 (KUBB+MÖLKKY+WOODBALL), held in Pasohlavky, The Czech Republic.
Photo with the 1st winner Jozef Stano (on the extreme right), from Slovakia. 


2011年10月2日日曜日

日本モルック協会(JMA)のブログ開設

日本モルック協会、代表の八ツ賀です

日本モルック協会(JMA)のブログが開設されました
モルックとは、フィンランド生まれの老若男女が一緒に楽しめるアウトドアゲームです
私たちJMAは、日本でモルックを普及させること、世界大会で日本チームの成績向上を 目的としております
興味のある方はぜひ、一緒に楽しみましょう