2011年12月24日土曜日

モルック30箱、日本に到着。


八ツ賀(千)です。

先日、引越荷物と共にフィンランドからモルックが30箱届きました。
引越荷物の1/3近くを占めたこの量、無事に到着するか少し心配でした。
海外郵送、信用していないわけではないのですが、
質の高い日本のサービスに比べるとどうしても……
なにしろ、何回も使っている日本の段ボールと比べて、
フィンランド業者さんがその場で作成してくれた段ボールの違いたるや歴然。








手前の黒い猫が付いた箱と比較して、後方や下部にある箱のへこみ具合、お分かりになりますでしょうか。






へこんだ箱の中に入っていた割れ物の一部は残念なことになっていました。

そして、よくよく確認すると、案の定モルックにもダメージが。
やはりすべて無事にとはいかなかったようです。
3箱のゆがみを確認。
幸い中身には問題がないようでした。



これからこのモルックを使って、少しずつ日本でも広めていけたらよいなぁと思っています。

今の住まいは雪深い福井。
ヘルシンキとは寒さは違えど、冬の練習が難しいのは同じため、
本格的な広報活動は春になってから頑張ります!

2011年12月20日火曜日

JMAフィンランド支部公認 第一回 大崎鬼教官によるモルック講習会


小雪がちらつく1217日午後1時より、JMAフィンランド支部公認 第一回 大崎鬼教官によるモルック講習会が開かれました。参加者は、JMAより大崎、高窪、尾曲の3人とH家の皆様の総勢8名(大人5名、子供3名)。心配された雨は案の定お昼頃から降り出し、開始時には小雪になっていました。ホームグランドもすでに水浸しの状態であっため、急遽Toolon tower前に変更となりました。幸い、管理人のおばさまも”No problem”と言って下さり、他の住人の方々も興味深げに見守って下さいました。フィンランドにおけるモルックの威力は絶大です!
H家のご長男であるさとし君(7歳)、ご長女のさやかちゃん(5歳)は大崎鬼教官が担当し、末っ子のはるかちゃん(3歳)はミニモルックを使って練習を開始しました。さとし君、さやかちゃんの二人は、初めてのモルックとは思えない正確なショットを繰り出していました。そして、大崎教官の厳しい指導にも音をあげず、2アウトまでは高得点を狙い、3アウトになりそうになると安全圏を狙うという高度な戦略をすぐにマスターしていました。さとし君、さやかちゃんがお互いに切磋琢磨している姿を見ていると、世界大会へのデビューも間近ではないかと思うほどでした。今後も大崎教官の雄姿をYouTubeで毎日観察し、日々の練習を続けて頂きたいと願っています。
また、3歳のはるかちゃんにモルックはさすがに難しいかと思いきや、練習開始時はなかなか棒(スキットル)を倒すことができませんでしたが、徐々に投げるコツをつかんだのかかなりの精度で倒すことが出来るようになりました。そのときのはるかちゃんの満面の笑みをみると、世代を超えてモルックの魅力は伝わるものだと改めて思いました。
H家の家長Akiraさんはすでに立て投げを、奥さまのMasakoさんはきれいな回転のショットをすでに体得され、来年の世界大会ではチームH家がJMA日本代表の強力なライバルになるのではないかと心配になるほどでした。
あっという間に予定時間は経過し、寒さもますます厳しくなってきたため終了しようとしたところ、さとし君、はるかちゃんのモルックへの熱意は凍えそうな寒さもどこかへ吹き飛ばしてしまうほどで、その後も大崎鬼教官による室内居残り練習がH家で行われました。
H家の皆様、ご参加ありがとうございました。
第二回大崎鬼教官によるモルック講習会にもぜひご参加ください。きっとそこで鬼教官がヴェネティア合宿で体得した新必殺技を、私たちに披露してくださるものと確信しています。

JMA監事 高窪
未来の日本代表を目指して!

一点集中!


H家ご一家と大崎教官

2011年12月8日木曜日

12月7日 ヘルシンキカップ個人戦 第5週目

大崎です。
本日は個人戦。大崎、松田が参戦しました。多少早く会場に着き15分程度ではありますが投げ込み練習。
大崎は前回に続きTonyとのペア。Kapuら実力者の居る予選組ではありましたが、3ゲーム合計点でなんとか1位抜け、A finalに進出しました。わずかではありますが感覚を取り戻した時点で試合開始できたのが功を奏したのか、予選ではまあまあ長距離まで自信を持って当てる事ができました。
しかしA finalの他2チームはどちらも強い。大崎、Tony組は段々調子を崩し外す回数が増える中、Keke、Jukka組が圧倒的な力を見せて結局3ゲーム完封勝ち。大崎組は第3ゲームで熾烈な二位争いを繰り広げましたが、まさかの3連続外しで脱落。目の前のピンを外してしまう大崎。前回に続き悔しい4ポイント獲得となりました。Tonyには申し訳ない限りです。

松田選手組は予選で残念ながらC finalへまわり、そこでは2位でした。個人戦と銘打ってはいますが基本は偶然で決まるペア戦ですので、自分の調子だけでなくペアの実力と調子は毎回変わります。難しい!!

自信を持って当てられる時と、連続して外してしまう時とでは何が違うんでしょう。メンタルでしょうか。特に本日3ラインをやらかした時などは外すイメージしか浮かびませんでした。おそらく投球動作、手のフリ等が崩れているんでしょうが、個人戦では横でアドバイスしてくれる人もいませんので、常に投球フォームを録画してみるのも役に立つかもしれません。しかしビール飲みつつも真剣なフィンランド人の横でビデオを回す勇気はなかなか無いJapanilainenです。。。

個人戦次回は新年の4日からです。大崎は密かにポイントを重ねていますので、次回も上手な人に寄生したいものです!

          4ポイントゲット! (ここはどこでしょう?)


2011年12月5日月曜日

11月30日 ヘルシンキカップ団体戦 2週目

大崎です。 今回は団体戦(7チーム出場)の2週目でした。Team Japan今日の出場メンバーは松田/杉山/高窪/大崎の4名。予選はで3ゲーム合計点で競い、我がチームは40/29/31点に終わり上位2位に残れずA final出場ならず。。。つづくB finalは50/43/25 (最後は50点オーバー)で、こちらも最後に逆転され2位どまり、上位得点を獲得するに至りませんでした。。。
松田選手、そして一ヶ月半ぶりのモルックだった高窪選手は安定した調子を見せます。しかし他二名がまるで生まれたばかりの子やぎ?のような不安定な投球です。特に大崎選手にはこれが決まれば勝ち!という美味しい場面が幾度となく巡ってきますが、ほとんど外して他のチームに逆転を許す展開が続きました。。。固い地面とかの問題以前に方向/距離が明後日の方向に飛んでいます。やはり早く練習場に行って多少投げ込む必要性を深く感じた日でした。降雪の気配が未だないヘルシンキではありますが流石にもう外での練習は厳しいので(え?まだできるだろう? いや偽北海道人には寒いです。。。)、冬期の練習不足はどうしたものか悩ましいです。。。

現在我らの総合順位は7チーム中5番目。なんとか来週以降奮起したいと思います。

(図と本文は関係ありません)



2011年12月2日金曜日

番外編2: Energiahalli Tournamnet in Lahti

大崎です。

階段モルック (Rappumölkky)大会の試合については尾曲氏の項で詳細に紹介してもらっていますので省きますが、普段狙わない見上げるような位置に向かって投げるのは新鮮な体験でした。意外と面白かったです。
試合に代わって、今回で個人的には3度目となるラハティ、僅か一時間の道のりが如何に長かったかをお伝えしたいと思います。。。

大崎、松田両名は一週間前のヘルシンキカップにて他の参加者(血気盛んなフランス人)から「ラハティで最近開催される大会は変なのばかりだ。先週末Messiläで行われた大会にせっかく行ったのに、なんとミニチュアモルック大会だったFa◯k!! 多分次回のは階段モルックらしいから俺は行かない!」との情報を事前に得ていました。確証はないものの、これを尾曲/高窪氏に知られると来てもらえなくなる可能性大であったため、ひたすら情報を内密にし続けたのでした。

ラハティの街を散策すべく先乗りした芸術肌の尾曲氏に遅れて一時間後のローカル電車に乗り込んだ大崎、松田でした。チケットはまあ中で買えばいいよねー あ ここがすいてるじゃん! と妙に人が少ないコンパートメントに座り、本来の参加予定者であった杉山氏が急遽体調不良のため欠場とのことで、穴を埋めるべく紳士の高窪氏にお電話。土曜日の朝、優雅な朝食(多分アジの開き)を取られていた紳士は、仕事もそっちのけでその後Inter Cityに乗って駆けつけてくれたのでした。さすが紳士!

パリとか都会は交通の乗り替えが難しくて、メトロと近郊電車などで乗り越すと罰金とられるらしい、その点フィンランドは楽だねえ、などと雑談をしていると、乗務員らしき人影が。しかし一人ではない。厳つい制服に腰には警棒?の4人組、そうヘルシンキ市内のトラムで無賃乗車客の抜き打ち検査にやってくるヤツラが来たのです!
どうやら我々は事前にチケット購入した物だけが座れるコンパートメント(2nd classマークに斜線が引いてある表示が掲げてある)に居たのでした。ブロンドの奇麗なお姉さん警備員にお前ら何年フィンランドに住んでいるのかと聞かれて素直に数年と答えてしまった正直者大崎。じゃあ当然知っているだろうと容赦なく80ユーロの罰金の切符を切られる二人。社会保障番号もしっかり記録され、晴れて前科者になったのでした。そんなルールは知らない!と抗議しようかと思った矢先、同じ車両内で黒人の兄さんと警備員とのバトルが勃発。知るかそんなの払わねえ!Don't touch me!と叫ぶ兄さん。警備員に囲まれて駅で降ろされるもまだ争っている。。。小心者のJapanilainenは抗う勇気もなくなり、素直に罰金切符にサインしてしまうのでした。。。

今回の旅費予想総額よりも多い金をいきなり失った二人は呆然とするばかりです。なんだか泣きそうになり次の駅で降りてヘルシンキに帰ろうかと思ったくらいでした。しかし強引に連れて行った2名、特に当日朝に招集した高窪氏の手前引き返すわけにもいかず、持参したモルック棒とピンを眺めてなんとか気を紛らわす二人のJapanilainen。その様子を隣の座席のフィンランド人の子供二人が不思議そうに眺めていました。。。

学習した事。
「罰金切符についてお上に抗議メールを出しても無駄」「チケットはちゃんと買うべし」「レストランは予約すべし」
実に高い勉強代でした。これを読まれた在フィンランドの皆様、ぜひご注意を!

Semi finalで敗退した我々にも「参加賞」のチョコレートが!
 会場のラハティエネルギアホールは、どうやらフィンランドでも指折りの実力チーム「KONNA&KOUKKU」のホームグラウンドらしく、彼らのトロフィーがそこかしこに飾られています。



クリスマス仕様に飾られたラハティの大通り。


罰金80ユーロとレストラン4時間待ちを忘れさせてくれたMamma Maliaの美味しいご飯!



2011年11月29日火曜日

番外編: Energiahalli Tournamnet in Lahti


トワイライト in ラハティ

 それは、突然の召集でした。朝の9時ころ洗濯機を回し、無洗米としじみのみそ汁を食べながら、今日こそは2年前から懸案となっている仕事を片付けようと思っていた矢先の出来事でした。
 
“一人来られなくなったので、いまからラハティのイタリアンを食べに来ませんか”

あまりに突然のYさんからの電話に、まさかこんなことが現実に起きるなんてと思わず叫びそうになりました。今回は2人一組という大会規定があったため、一人欠けるとその組が出場できなくなってしまい、Kさんの顔が浮かんできました。

僕はモルックは二の次でいいですから、出なくていいですよ“

きっと心やさしいKさんは、こんなことを言い出すのではないかと不安になりました。そして、何よりあのMamma Mariaの味を思い浮かべてしまったのでした。急いで朝食を済ませ洗濯物を干し、急行のチケットをネットで購入(実は、鈍行でも10分しか違わなかったんです・・・)し、足早に北ハガ駅に向かい、パシラ駅でMラインから急行へ乗り換えました。さすがに土曜日の午前中、クオピオ行きのIC 70はそれなりに混んでいて、私の席にも若いフィンランド人が座っていました。私の席ですがというと、OKとさらっと言って他の車両へ移って行きました。誰もいなければ座ってもいいというヨーロッパのこのシステム、けっこう合理的でいいですね。

ラハティ駅に到着すると朝から来ていた3人が出迎えてくれました。結局、お目当てのイタリアンは12時開店で大会に間に合わなくなってしまうため、夕食に行こうということになったそうです。ラハティ駅からタクシーで会場のエネルギアホールへ。急行と鈍行は7ユーロの差ですが、時間は10分しか違わないとこの時聞かされました。前回も調べて行ったのに、すっかりそのことを忘れていました。でも更に強者はいるもので、YさんとSさんはさらに80ユーロを支払い特別車両に乗ったそうです。
会場のエネルギアホールに到着すると、世界大会で羨望のまなざしでみていた面々がたくさん参加していました。そして、さらに試合会場では今まで見たことがないような光景が飛び込んできました(詳細は、Kさんのブログをご参照下さい)。モルックを使った競技とは言え、去年から始めた大会らしく、多くのフィンランド人もルールを知らないぐらいでした。気後れしないよう直前まで大会内容を伏せておいてくれたYさんの気遣いもむなしく、案の定、ほとんど歯がたたなかったため2回戦で早々に敗退してしまいました。Team Japanは気を取り直し、次なる目的地、イタリアンレストランMamma Mariaを目指したのでした。

外はすっかり暗くなっていましたが、それでもまだ5時半。夕食にはちょっと早すぎるかと思いましたが店に到着するとすでに満席。予約がないとダメと言われ、9時半ならいいと。あとから考えると、店のおじちゃんは体よく追っ払おうと思ったのでしょうが、クレイジージャパニーズはひるむことなく、9時半にまた来るねと。あと4時間、このラハティの地でどうしようかと途方にくれた4人でした。(その後の経過も、Kさんのブログをご参照下さい)。しかし、先週借りてきたばかりの本(Aさん、ありがとうございます)に夢中になりあっと言う間に9時に。Mamma Mariaでイタリアンビールを飲みながら、クレージージャパニーズモルックプレーヤーとともに今日1日の疲れを癒すのでした。

ラハティからヘルシンキへの最終電車にのり、フィンランド名物酔っ払いおやじ達にからまれないよう注意しながら、80ユーロの特別列車の謎を解き明かしていきました。誰もいないからと言ってどこでも座ってしまうと大変なことが起きるんですね。合理的と思われたこのシステムも、一歩間違えれば奈落の底行きです。これから、気をつけます。
そして、次回は絶対にヘルシンキから予約していきましょう!

JMA監事 高窪



会場のEnergiahalli (Yさんご提供の写真です)


右端の階段でもやっていました (Yさんご提供の写真です)

夜10時頃、Mamma Mariaで乾杯!

2011年11月28日月曜日

Energiahalli tournamnet in Lahti


ラハティ


尾曲です。ヘルシンキから列車で北へ1時間の町ラハティでモルック大会(Energiahalli tournamnet in Lahti)に松田・大崎・高窪・尾曲で参加しました。会場はラハティからタクシーで10分くらい行ったところにあるエネルギアホール、個人的に人生最北端の地です。
会場に着いてみると見たこともない景色が広がっていました。階段モルックです。大崎氏の粋な計らいでこのことは道中ずっと伏せられていました。

階段モルック
階段モルックのルールを簡単に説明します。階段の下から順番にピンが1から12まで並べられており、1から順番に倒していき、いちばん高得点をとったチームが勝ちになります。階段は木で出来ておりモルックがヒットすると結構揺れますので複数本倒れることもあります。そんなときのカウント方法。例えば1を狙い1と2を倒してしまったらノーカウント、逆に2を狙い2と1が倒れてしまってもカウントします。つまり狙ったナンバーより大きい数字が同時に倒れてしまうとノーカウント、狙ったナンバーとそれより低い数字が倒れた場合はカウントします。
倒れた数字は最初の状態に復元します。通常のモルックのように自分の倒し方が相手に影響するということはありません。つまり自分の投球が相手に何の影響も及ぼさないので、ひたすら高得点を目指せばいいわけで戦略は必要ありません。四回連続はずすとそのチームはアウトになります。ほぼ全ゲームで12に到達することはないので、実質的に四回連続アウトしなかったチームが勝つという状況になっていました。

1回戦は5、6チーム(1チーム1人か2人構成)1組で3ゲーム。チームジャパンは1(松田・大崎)、2(高窪・尾曲)と2チーム出場。我がチームジャパン2にとっては最初の1が鬼門でした。1を倒しても2が同時に倒れるケースが多く、初ゲームは1さえ倒すことができずに四回連続アウトでした。しかし2ゲーム目を獲り、3ゲーム目で3位、結果的に2位で準決勝に進出することができました。チームジャパン1も同時に準決勝進出でした。準決勝は惨敗でした。

シベリウスホール
敗退と同時にもうひとつの、というかメインの目的であるRavintola Mamma Mariaへタクシーで直行。ものの雑誌によるとフィンランドで2番目によいレストランとのこと。17:30頃到着するも予約がないとダメと言われ、21:30まで待つことに。再訪を誓い、4時間暇つぶしすることにしました。ラハティで。冬のラハティで。私は大崎氏とシベリウスホールまで散歩しましたが、それも大した時間つぶしにはならず、バスターミナルの近くのパブで各自思い思いの時間をファミレスでの高校生のように過ごしていました。そんな倦怠感漂う中モルックの新しい楽しみ方、モルックアートを開発しましたので、秀逸な作品を以下に紹介します。 
 


 


21:30の予約でしたが、21:00頃空いているだろうと店に行ってみたところ実際に空いており、予定より長い時間イタリアンを楽しめました。皆さん強気の注文でしたので自分も負けずにパスタとメイン一品をオーダーしました。最後に報われた気がしました。












2011年11月25日金曜日

Helsinki Cup (11月23日 個人戦)

大崎です。
本日の日本人参加者は大崎、松田の2名でした。個人戦の日ですが、いつもの様に参加者が20人を越えたので時間短縮のためクジ引きで決めたペア戦です。大崎はこの大会の主宰者であるTonyとのペア。彼は安定した実力の持ち主です。大崎/Tony組は予選を一位通過。この日初めてモルックをやったフランス人女性が混ざっていたグループだったため、かなりラッキーではありました。しかし上位で争うA finalでは大崎が絶不調で結局総合3位となり、4ポイントを獲得。優勝も狙えただけにTonyには申し訳ない結果となりました。

この個人戦(or ペア戦)は、まず3グループに分かれて予選 (2 or 3ゲームの合計点勝負)、1位通過3者(組)は文句無しにA final進出。予選2位通過者(組)の間でモルックアウトと呼ばれる特殊なミニゲームを行い、1位がA finalに参加し残りはB finalへ。予選下位組はC finalへ進みます。それぞれのfinalも2 or 3ゲーム合計点で争われます。
A final優勝者(組)は8 point, 2位が6 point, 3位が4 point, 4位が2 pointを獲得します。
B final 1位には4 point, 2位には2 point,C final 1位に2 point, 2位に1 pointがそれぞれ与えられます。
毎週pointを積み重ね、シーズン終了時の総合pointで順位を争うのです。
そのため毎週のpointをいかに獲得するかが重要となります。たとえA final出場を逃してもB, C finalでベストを尽くし1 pointでも多くとりたいところ。

例えばA final 第1ゲームで得点が低かったチームは例え第2ゲームで50点到達したところで合計1位になれなそうな場合、わざとピンを外し、他チームが3回連続失敗したり50点オーバーで25点まで戻ることを期待します。冬期会場はコンクリートに薄く砂を撒いた状態なので予想外のバウンドをするため、思わぬ失敗も多く十分に「待ち」の作戦も可能になってきます。2, 3位争いが激化した場合、最終ゲーム終了時に相手より1点でも多くなる様計算し、1位になりそうな選手(組)をアシストしてゲームを早く終了させ、2位獲得を目指したりします。
一見するとビール片手に楽しそうな集まりなのですが、その実は真剣勝負!
なんとかシーズン終了時に上位に食い込むべく、我々も気合いを入れて頑張っております。

試合会場。パシラ駅の高架下にある列車倉庫の一部がヘルシンキペタンク協会練習場となっており、モルック集団も間借りさせてもらっています。






2011年11月23日水曜日

Helsinki Cup 団体戦 (11/16)

杉山です。
11/16に今季初になるヘルシンキカップ、団体戦に参加しました。
団体戦では1チームに2人〜4人を登録することができ、私たちはチームジャパンとして、松田、大崎、高窪、杉山が登録しています。
この日は杉山、松田そしてあとから遅れて大崎が参加しました。

試合開始の6時を5分過ぎて杉山、松田が試合会場に到着したところ、すでに私たち以外の3チームは最初のゲームを2回投げ終わっており、まさかの二回連続ミスの状態からのスタートとなりました。さらに投げ方を先週から変えた杉山の不調により最初のゲームは28点と最下位。しかしそこから何とか持ち直し、2ゲーム目ではファイナルショットを取ることができました。しかし惜しくも総合得点の1点差でBファイナルへ進むことになりました。このコンクリートの地面では投げたモルックのちょっとした角度で思わぬ方向へ飛び跳ねるため、非常に難しいです。

Bファイナルでは1ゲーム、2ゲームともに50点を獲得することができました。2ゲームの途中で大崎が会場に到着、最後の3ゲーム目は3人で挑みました。ここで1ゲーム、2ゲーム共に40点以上を獲得してきたチームPägyが追い上げてきましたが、逆転を狙った12ピンへのショットが3回連続ミスとなり、私たちがBファイナル1位、総合5位を取ることができました。

ヘルシンキカップ、団体戦はチームジャパンとしての練習ができることが夏に向けていいトレーニングになるのではないでしょうか。私のようにまだ投げ方が安定しない人にはもうすこし試合とは別に投げる練習ができるとなおよいかもしれません。また、モルック大好きという共通項を持った人たちとの交流も楽しいですね。

11/23はヘルシンキカップ、個人戦も楽しみです。

2011年11月13日日曜日

Helsinki Cup (11/9)

フィンランド支部長、松田です。
11/9、ヘルシンキカップに参加しました。

JMAからは初参加一人を含む5人参加。
今回もトータルで20人を超えたのでダブルスで試合を行いました。

クジで日本人2ペア、松田・杉山ペア、八ツ賀・杉本ペアが同じ組で予選を戦うことになりました。予選は2ゲーム合計点で4チーム中2チームがA、B決勝に進むというもの。

最初のゲームは、Kapu・Tuiskuチームの25点に戻るハプニングにも助けられ、我々は47点で2位、八ツ賀・杉本ペアは40点で3位。2ゲーム目は日本チーム勢が奮闘。途中まで2チームが他を引き放し決勝に進めそうな展開でした。しかしながら地面がほとんどコンクリートでどのチームもピンに当てるのに苦労し、二回連続ミスが頻発しました。八ツ賀の二回ミスの後、遠距離12ピンを狙いに行く姿勢は、素晴らしいものがありました。結果的に、ファイナルショットを松田が決め二ゲーム目を取りましたが、Kekeのチームに敗し、Bファイナルへ。

決勝の前に、モルックアウトで、エキストラでBファイナルからAファイナルで投げるチームを決めました。モルックアウトは、通常のモルックとは違い縦一列にピンを並べ、数投のあと合計点を競います。高得点が中央にあるので、技術と運が必要になります。結局我々は予選の結果通り、Bファイナルで投げることになりました。
モルックアウト
今回AファイナルにはJMAから参加できませんでしたが
Bファイナルでは、1チームの独走を許し、我々はなんとか2位で今季初ポイントを獲得できました。Cファイナルでは、大崎のチームが優勝しました。

個人的には、外で行う夏のヘルシンキカップでは途中参戦して幸運にもすぐポイント獲得できたので、ようやくポイントが取れて良かったです。冬はペアで投げることが多いので、パートナーとの意思疎通、作戦など、毎回多くの要素が影響をあたえるので、難しい点も多いですが、チームとしての戦い方など、来年の世界大会に向けていい勉強になります。

来週からはチーム戦もはじまり、我々もTeam Japanとして参加します。
なお代表・八ツ賀は日本での普及のため、今回が最後の参加でした。
今後は日本と提携しながら新たな人材の発掘、技術の向上に努めて行きます!

2011年11月9日水曜日

初モルックはいつ?

代表の八ツ賀です

さて、はじめてのモルックとの出会いを少し書き留めようかと思います
2008年5月から、幸運にも私はヘルシンキで働くこととなりました
同僚は、当時大学生、大学院生が8割くらいを占める、とても若く活発な状況でした

フィンランドでは、職場の仲間とつるんで遊んだり、飲みに行ったりというのは、とても珍しいことなのですが、私の職場は外国人が少ない(当時私を入れて3人、残り20人以上がフィンランド人)にも関わらず、週に1回以上なにかしらのイベントが行われる、課外活動が活発なフィンランドらしくない職場でした

正確な時は覚えていませんが、2008年の夏に、モルックを数回した記憶があります
初めは、モルックの発音が聞き取れませんでした(öの音はすこし濁った感じの音で、oとは当然区別されてます)
どんな遊びかと聞くと、フィンランドボーリングというので、どんなものかと思いきや、木製の棒を倒して遊んで、点数を数えるという、いかにも素朴でフィンランドっぽい遊びという印象を受けました
ルールは簡単なので、2回もすると簡単に覚えてしまいます



そんな感じで、外でピクニックするときには、お酒を飲みながらモルックをするというのが、2年間くらい、この職場での夏の定番となりました
今はアイルランドで学生をしているHeiniが、モルックが大好きだったこともあり、する機会が多かった気がします
彼女がいなくなってから、ラボでモルックする機会は減りました・・・
ただし、このときに、モルックの大会がフィンランドだけでなく、各国で開かれているなど思いもしませんでした

2011年11月3日木曜日

モルック販売会社「Tactic」との交渉 その3

代表の八ツ賀です

さて、その3と書きましたが、番外編です
インターナショナル用のTacticの カタログを頂きました

その中で、最近発売されたというmölkky juniorなる商品
私たちJMAメンバーも知らなかったのですが、まぁ新作ということで、実物はみれませんでしたが、大きさが通常のモルックのおおよそ半分ということでした
狭い場所でモルックをするときや、幼児や小学校低学年の子ども用ということでした

さらに驚いたのが、mölkky travel
旅先でもモルックをというコンセプトのようで、大きさは通常の1/4くらいです
いちばん下のが旅行用モルック!
おそらくその場にあったら、間違いなく買っていたでしょう・・・(笑)

2011年11月1日火曜日

モルック販売会社「Tactic」との交渉 その2

代表の八ツ賀です

現在、日本でTactic製のモルックを日本国内で買うことはできていません
いくつかの方法がありますが、どれも外国から購入ということで、時間とお金がどうしてもかかってしまう現状があることと、英語ならまだしも、他の言語だと、購入するのはとてもハードルが高いといわざるを得ません

営業部長のJuhaとしては、モルックを含め、Tacticのゲームを中心として売り出してくれる営業パートナーを探しているということでした
私たちは、色々な事情を考え、amazon.jpでモルックを販売してもらえないかというお願いをいたしました
その利点として、購入が容易であり、さらに1500円以上の購入で日本国内の送料が無料になるということで、日本でのモルック購入が低価格で可能になると考えました
Juha的には、ある程度の認知が得られれば、アマゾンでの販売もよいと考えているようですが、アマゾンは、ただ商品を陳列しているだけで、Tacticのゲームを全面的に売り出すという場でないということを懸念していました
しかし、日本のアマゾンでは、日本国内の輸送量が無料ということには、大変興味を持たれていました
確かに、北欧系のおもちゃ専門店や雑貨店で、Tacticのゲームを含めたモルックに焦点を当てた販売は可能でしょうが、そうすると、その小売店から家庭までの輸送料が1000-1500円くらいかかってしまいます(モルックは重さ約4.2kgです)

さて、モルックの現地価格、フィンランドではいくらで売られているかというと、StockmannというFinlandのデパートで26.9ユーロです(工場直売でも同じ値段です)
ですので、それより安い価格で購入というのは、当然厳しいわけです
フィンランドからの輸送量、関税などを考えても、日本円で3000円以下で購入することはまず無理なのは納得して頂けると思います(現地価格が約3000円ですから)

私たちは、日本円で5000円を目処に、購入できるようできれば考えています
JMAは、フィンランドで作られたモルックを、日本で手軽に、そしてできる限り安価に購入できるように努力しています
そのためにも、多くの方のご協力が必要であり、そのための第一歩として、モルックの普及が必要不可欠なのです
私たちJMAは、この秋から本格的に日本での普及活動に努めていきます
興味のある方は、遠慮なくJMAホームページよりお問い合わせください

これからも、JuhaとJMAが密にコンタクトとることを固く誓い、日本での普及を応援してくれるというありがたいお言葉をいただきました
高窪、八ツ賀、Juha、松田

2011年10月31日月曜日

モルック販売会社「Tactic」との交渉 その1

代表の八ツ賀です

10月28日の金曜日、フィンランドでモルックを販売しているTacticという会社の営業部長のJuhaと、正規品のモルックの日本での販売戦略について交渉してきました
JMAからは、代表の八ツ賀、副代表の松田、監事の高窪が出向きました

Tacticは、フィンランドではボードゲームやカードゲームを中心に販売している老舗のおもちゃ屋です



今回、私たちのために、フィンランドでもっとも親しまれている、おそらく日本でいう人生ゲームやドンジャラのような感じで一家に一つはあるといわれている「Alias」というボードゲームの、英語版(インターナショナル版)をいただきました
これは、今の日本で、小学生や中学生の英語教育に、遊びと教育とを融合させて、英語学習を楽しめるのではないかと思いました

Tacticのたくさんある商品の中に、モルックがあります
ヨーロッパでは、このTactic製のモルックが多くの国で販売されているのですが、さすがに日本ではまだ売り出されていないのが現状です

私たちJMAでは、日本での普及活動を大きな課題と考えており、モルックをできるだけ安く、そして日本で購入できる方法を模索した結果、フィンランド国際モルック協会(FIMA)の協力のもと、今回Tacticの営業部長であるJuhaと直接交渉することができました

Juhaも、日本の人口規模を考えると、マーケットとしては悪くないと感じているようですが、遠い極東の国であり、また言葉の壁も厚く、なかなか日本・アジアへの進出に踏み切れないという感じでした

2011年10月27日木曜日

2011年冬期ヘルシンキカップ第2戦

代表の八ツ賀です

2週に1回行われるヘルシンキカップにこの日も参加しました
現在ヘルシンキにいるJMAのメンバー6人全員が参加となりました
この日の大会の参加人数は26人、単純に約2割近くが日本人が占めてます!

予選は前回と同じで、人数が多いので個人でなくクジで決めるペア戦
すごい確率ですが、ペアが前回と同じフィンランド人、八ツ賀がTuiskuと、松田がSamiとペアとなり、ペアを組む人のスキルや戦法を知っているので、戦いやすい状況となりました

予選は私のグループがけっこうな強者揃いだったと思います
しかし、近距離はTuiskuが、中・長距離は私が高確率が命中させていき、3試合して2回あがり、合計得点でも2位を20点以上も差をつけて堂々の予選1位通過、決勝進出を果たしました

さて他のJMAメンバーはというと、私を含め3人が日本人が入っているチームが決勝まで進んできました
JMAメンバーの実力がアップしているのを実感します
決勝は4チームの2戦のみ
日本人は、八ツ賀、大崎、杉山の3人が決勝にすすみました

かなり緊迫した試合で、1試合目は、大崎・Olivierペアチームと、八ツ賀・Tuiskuチームのほぼ一騎打ち状態
杉山のチームは、ペアのフィンランド人も調子が上がらず上位に食い込めずでした
最後のショットで、Olivierが当てたら勝ちというところで、不運にもはずしていまし、次の私がけっこうな長距離を命中させ1試合めゲット

2試合目も同様な試合展開で、かなり難しい最後のショットを、Tuiskuが3本倒しという偉業を成し遂げて2戦とも勝ち、この日は八ツ賀・Tuiskuチームが優勝しました
このペア、前回2位で今回1位、かなり強いペアと思われますが、ペアは運次第なので、次はどうなるかわかりません

11戦あるうちの2戦が終わっただけです
この勢いを保ち続けるのが難しいでしょう
全体を通しても、日本人が目だつ試合となり、ヘルシンキでは、日本はモルックが強いという印象をさらに植え付けた形になったと思います
これも夏場の地道な練習の成果だと思います

2011年10月21日金曜日

2011年冬期ヘルシンキカップ1回戦

代表の八ツ賀です

北国のフィンランドですが、夏の世界大会を見る限り、上位のチームは、とても夏だけの練習であそこまでのレベルに達することはできないと思っていたのですが、冬も練習していました
ほとんどの屋外スポーツですが、フィンランドでは冬でも室内でできるような状況になっていると思われます
室内用のテニスコートもありますが、夏は屋外、冬はそこにテントを張って、というかドーム場の覆いをかぶせてという光景を、街のあちらこちらで見ることができます

では、モルック用の室内練習コートは・・・というと、さすがにヘルシンキにはないようです
ただし、モルックの本場ラハティにはあるかもしれません・・・来年の大会でFIMA(フィンランド国際モルック協会)の人にでも聞いてみようかなとか思います

前置きが長くなりましたが、ヘルシンキを中心に、モルック好きの有志が集まって試合をしている集団、それがヘルシンキカップです
夏は屋外、まぁ普通の公園なので無料ですが、さすがに10月を過ぎると夕方は気温一桁まで下がりますし、夕暮れも早くなるので屋外での活動は不可能
そこで、ヘルシンキカップでは、毎年冬は室内ペタンク場を借りて行われているようです
世界中に活動家のいるペタンクは、室内専用練習場を、このヘルシンキにも持っているというのはさすがとしかいいようがありません
これはいちばんまともで広いコート
冬期ヘルシンキカップ、2週に1回、パシラ駅近くの室内ペタンク場にて行われます
基本は個人戦で、1戦ごとに上位から得点を割り振り、 11回戦を行って最後に合計得点が高かった人が優勝というものです
室内のレンタル代が、全11回、1回2時間で32.6ユーロ、1回に換算すると約3ユーロくらいなので、手軽な値段ではないかと思います

10月12日に、冬期ヘルシンキカップの1回戦目が行われました
18人以上の参加者がいる場合は、ペア戦となる仕組みで、20人以上の参加だったのでペアとなりました

場所のコンディションとして、1つのコートは地面が普段使っている公園のようでいいのですが、もう一つはコンクリートの上にほんの少しだけ砂をまいた感じで、とにかく棒が跳ねる跳ねる・・・!
しかもコートの幅も長さも狭く、また壁に当たった棒でピンが倒れてもOKという、何でもありルールで、毎年している猛者ですら悪戦苦闘でした
とにかく無難に投げてもまったく予期せぬ方向に飛び跳ねるため、芝以上にトリッキーなコンディションといわざるを得ないです
3回連続でゲームオーバーになるチーム続出でした(決して難しいピンを狙いにいくわけではないに・・・)

そんな中、JMAのメンバーはこの日3人参加したのですが、私とフィンランド人のペアは決勝まで進み、惜しくも2位という結果ではありますが、充分に力を発揮できたのではないかと思います
確実に世界の中で、といっても主にヨーロッパですが、日本のモルックチームは強いという印象を植え付けていっています
この調子で、冬場もモルックの練習を続けて、夏の練習・大会へとつなげていけるようにしたいものです
そして、来年こそは、念願の世界大会2回戦突破を成し遂げたいと思います

次回のヘルシンキカップは10月26日
JMAメンバーが入賞することを祈って!!
このコンディションは、直接ピンを狙うよい練習かもしれません(ポジティブシンキング)

2011年10月14日金曜日

2011年フィンランド世界大会

代表の八ツ賀です

今年は、3カ国での大会参加となりましたが、私たちJMAのいちばんの目標である、フィンランドの世界大会についての結果を書き留めておきます

世界大会の開催地は、モルックの聖地ラハティです
8月27日(土)、28日(日)の二日間かけて行われ、Team Japanとして出場しました
参加費は1チーム80ユーロ
今年の出場チームは約200チーム
4人1チーム、控えの選手を含めて最大1チーム6人まで登録可です

初日は予選のみです
Team Japanは、午後1時からで、ほどよく練習もでき、また集中力が切れないであろう時間で助かりました
Team Japanとして、八ツ賀(秀)、松田、大崎、高窪、杉山、尾曲でエントリー
八ツ賀(千)はマネージャーとして色々と働いてもらい、陰の功労者といっても過言ではありません
今年は、1グループ4チーム、4試合の合計で上位2チームが2回戦進出です
予選は、高窪、松田、八ツ賀(秀)、大崎で臨みました
試合をして始めて相手のチームの強さがわかるのですが、数回投げていてわかるのは、明らかに他の3チームは自分たちより格下ということです
しかし初戦ということで、緊張も合いまり、途中で投げる順番を変えるなどして苦戦しました
結果的にはグループ1位通過でしたが、最後まで気が抜けないというのは、まだまだスキルが足りないと思わせられる部分でもありました

初日の予選が終わると、国別親善試合が行われます
各国から3名の代表選手が、今年は12カ国で競い合いました
国別親善試合には、高窪、松田、杉山で臨みました
6チームで2試合行い、上位3チームが決勝に進むという、多少運もかぶるところもあるのですが、試合が始まるとやはり実力どおりの結果となるのが不思議です
日本チームは、善戦しましたが、15m級のショットを連発しないといけない状況となり、普段そのような距離の練習はしないので、厳しい戦いとなりました
日本チームは8位という結果に終わりました
優勝はフィンランドチームです

2日目は2回戦、そして勝ち進めば決勝まである日です
2回戦は1グループ3チーム、1位のみが3回戦に進めるというシビアな条件
ここで勝ち抜けるとベスト32入りとなります
前日の後半と同じメンバーで、八ツ賀(秀)、松田、高窪、大崎で臨みました
1チームとはほぼ互角で、2回戦った時点で7点差で1位
しかし、私の作戦ミスで、逆転負けを喫してしまい、今年の目標であった3回戦進出はならず、去年と同様2回戦敗退という悔しい思いをしてしまいました
あと5点足らず・・・完全に作戦ミスでした

スロバキアチームと共に

来年の目標は、やはり3回戦進出
今年、去年の経験をいかし、技術、戦略、メンタルを鍛え直して来年こそは目標突破を目指したいです

2011年10月12日水曜日

2011年 チェコ大会(番外編の番外編)


5.最後に(番外編の番外編)

 昨夜の飲み会のあたりから気づいたことが一つ。なぜか、日本語のアリガトウがチェコ人に大受け。後からペトロとズデニックに教えてもらったことですが、チェコではワニのことをAligátor といい、ほぼ日本語のアリガトウと同じ発音のため、アリガトウアリガトウと連呼すると、ワニワニとなり、とても面白いらしく、大勢の人が真似をしてくれました。そして、私のタイ式お辞儀とともにチェコ人、スロバキア人の間にまちがった日本式アリガトウをはやらせてしまったのでした。

また、チェコ大会チームジャパンキャプテン大崎さんには、とても感謝しています。YukiJozefの強い絆がなければ、あの美しいPasohlavkyの湖畔や秋のプラハ城を見ることはできなかったでしょう。そして、スタノ、マルケスとの魔法の水対決、fu-kingチェコお姉さん?とのブドウジュース対決、ヤナとの熱い約束、ペトロとのクップ談義、ズデニックとのスピリッツ対決、本当に素晴らしいです。

チェコ大会チームジャパン、最高です! 

 心優しく陽気なチェコ人、スロバキア人に囲まれて、最高の週末を過ごすことができました。日本で働いている皆様、ごめんなさい。
松田フィンランド支部長から厳命された優勝は、おしくも逃してしまいましたが、それは来年のチームジャパンに託します!


また、2011年チェコ大会(番外編)を最後までお読みいただき、誠に有難うございました。最後にみなさんご一緒に、ご唱和ください。


来年のチームジャパンの健闘を祈って

Kanpai (JPN)Na zdravie (SK)Na zdravi (CZ)!

Arigatou (JPN)Aligátor (CZ & SK)Alligator (ENG)?!

JMA 監事 高窪祐弥


チームジャパンを応援してくれた留加須 (Lukus)と

とてもかっこいい写真だったので (CASPVのHPから)

秋のプラハも満喫、有名なカレル橋とプラハ城

30個のモルキーセットはいずこへ!? 日本大会開催へ準備着々!

2011年 チェコ大会 (番外編3)


4.第一回モルキーチェコ大会準優勝までの軌跡(番外編)3日目

 本日も快晴、さすがにスロバキアチームのバンガローは静かでした。かなり強烈な頭痛と脱水気味の体に、今日も冷水シャワーで目覚めの一撃。昨日と同様、澄みわたる湖畔を眺めながら朝食会場に向かうと昨夜チェコ人初、日本伝統秘技、千鳥足を目撃した・・・さん(名前忘れました、番外編2の写真をご覧ください。)から、頭痛はしないか、あの歩き方はすごかったな、と優しいお言葉。

午前中は、ウッドボールにチャレンジ。プラハまで乗せていってくれると快く応じてくれたペトロ(大会会長とは別の人、チェコクッブ協会会長)とズデニックと同じ組で回りましたが、ここでも休憩ごとにビールでナズラディー!もちろん、彼らがおごってくれました。昨日の練習とはことなり、本番ではOBの連発。後半は再びヘタレ戦法、弱めに打って刻んでいったところ、チェコ人からパワー、パワーと挑発されるが、己の道をただ突き進むのみ。試合終了後、散々な結果と思いきや、チーム戦のため終始安定したプレーをみせたキャプテン大崎さんのおかげで、チームジャパンはウッドボールでも10組中6位入賞。

お昼から執り行われた表彰式では、タイ式お辞儀とアリガトウがおおはやり。間違った日本のイメージを植え付けたようでしたが、みな楽しんでいたので、そこはなすがままに。
表彰式では、スロバキア人、チョコ人と記念撮影して、最後の交流!


ヨセフ、スタノ、マルケス、ペトロ、もう一人のペトロ
ズデニック、そして、心優しいチェコ人、スロバキア人たち
本当にアリガトウ!


その後、チェコクッブ協会会長であるもうひとりのペトロからクッブを教えてもらい、ル-カス兄弟をまじえて対戦。キャプテン大崎さんは、ここでも持ち前のキャプテンシーを発揮し、ル-カス姉に引けを取らない活躍をみせてくれました。おそらく、来年はクッブ大会も出場へ。
プラハまでは、ペトロの車に便乗させてもらえることになりました。かなり荷物が多かったにも関わらず、無理やり二人分のスペースを作ってくれました。チェコ第二の都市ブルノ (Brno)から約30分のブランスカ (Blanska)という街にある、ズデニックのアパートでしばし休憩。二人は冬のスキー旅行を話し合っていました(約2時間)。チェコ人たちは魔法の水を持っていなかったので、スロバキアとは文化が違うのかとひと安心しつつ、部屋中を舞うインコの羽に神経を集中させながらしばし休憩をとっていたところ、そんな甘いことはありませんでした。ほどなくすると、ズデニックがショットグラスとスピリッツ(アルコール度数約30%)をもって登場。しかも、一気飲みをすすめる。照りつける太陽とモルキー大会、魔法の水対決、ブドウジュース対決、ウッドボール大会と連戦を戦い抜いてきた体にはつらすぎました。しかし、ここでもキャプテンシーを発揮してくれた大崎さん。ズデニックとも互角に渡り合い、チームジャパンの面目を保ってくれたのでした。


アリガトウ、Ohsaki-san!

                                                                                                   
ズデニックの部屋は改装中でしたがなかなか良いアパートメントでした。美人彼女とインコに囲まれ、車はBMW。チェコでもそれなりのクラスなのかなと勝手に想像していました。その後、ズデニックと別れ、ペトロの車でプラハへ。いわゆるwinding road、蔵王の山道みたいなところを飛ばす、飛ばす。さらに、まじめなチェコ人、ペトロは、月曜日に私たちを案内してくれる友達を探してやるといって、運転しながらずっと携帯をかけ、メールをしまくってくれました。キャプテン大崎さんに助手席を譲り、後部座席でゆっくりするはずが、そうそう眠れず。そうこうしているうちに高速に入り一安心かと思えば、まだまだ友達を探し続けてくれていました。しかも、160km/hで走りながら・・・。しかし、月曜日の午前中に得体の知れない日本人男二人を案内できるほど暇な人を日曜の夜に見つけることなどはやはりできず、結局30人近くに連絡をとってくれましたが、あえなく断念。予定より2時間ほど遅くなり、夜20時過ぎにプラハに到着。

ペトロの家を経由し、おすすめのお肉のお店へ。ビーフのスシだというBifutekiなるものは、生肉にスパイスやソースを自分で加えていく料理でした。ユッケに似ていてO-111O-157などが頭をよぎりましたが、ペトロの嬉しそうな顔をみると食べずにはいられませんでした。明日の体調不良を覚悟して食してみたところ、これが意外にもおいしい。チェコビールと生ビフテキに囲まれ、最高のプラハの夜となりました。

レストランを出るころにはすでに22時をまわっていたので、長距離運転をしてくれたペトロもかなり眠そうでした。それでも、切符購入、トラム、地下鉄を案内してくれ、ホテルのレセプションまでついてきてくれました。ホテルは、予想以上に豪華でバスタブ付き。モルキー大会、ヒッチハイク旅行の疲れを癒すには申し分なく、バスタブにつかりながらこの旅行を支えてくれたすべての人々に感謝したのでした。


ペトロ、アリガトウ、Aligátor
そして、ズデニック、やはりおまえもか!
Na zdravi (ナズラディー)


来年は、真ん中にチームジャパンが立っていることを祈って

第2位は、メダルと賞状を頂けました

ズデニックと互角に渡り合うキャプテン大崎さん、さすがです!

嬉しそうにBifutekiを作成中のペトロ

この後、ホテルまで案内してくれたペトロでした、Arigatou!